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起業支援の現場から
公開日:2024.03.06
起業家には“強者”のイメージがある。中小企業庁が推進する「起業家教育支援」において、起業家には以下のような資質を持つ人材とされている。
●マインド:チャレンジ精神、探求心等
●資質・能力:情報収集・分析力、リーダーシップ等
経営サポート「起業家教育支援」 – 中小企業庁
https://www.chusho.meti.go.jp/keiei/kyouiku/
実際に成功している起業家を思い浮かべてもらいたい。想起されたその人には、先に挙げたような要素を持つ、精神的にも能力的に優れた人材という印象があるのではないだろうか。
一方、「支援」という言葉がある。こちらは、弱き者に手を差し伸べるというニュアンスを含んでいる。就労支援、復興支援など、「支援」の付く言葉はどれも困っている人や組織を対象にしているようだ。
また、似た言葉に「援助」がある。「支援」との違いは、対象との関わり方の差であるらしい。「支援」は文字通り支えることであり、一部を助けるに過ぎない。一方「援助」は、対象を全面的に助けるという意味合いで使われている。
自身でリスクを取って物事を進めていく起業家の場合、そのサポート活動はたしかに「支援」だろう。
さて、私たちは起業支援を生業にしている。直接支援もあれば、間接的に起業家をサポートしている場合もある。
自社で運営するインキュベーション施設「StartupSide」では、入居する起業家をわたしたち自身で直接的に支援している。また、大手企業や自治体に向けて起業支援サービスをソリューションとして提供することで、間接的に起業家にアプローチしているケースも多い。
起業支援のプロフェッショナルである私たちだからこそ、この「起業支援」という言葉とは真摯に向き合っていきたい。すると、先に挙げた「支援」の例と比較したとき、力強い起業家に対する「支援」であるということに、若干の違和感を覚えずにはいられないのだ。
起業支援は起業家に何をもたらすことができるのだろうか。このテーマについて、起業家と起業支援家へインタビューの形で問いかけた。起業家は、バレットグループ株式会社 取締役CHROの後藤衞氏。法人設立後、間もない時期を、コンテンツ・クリエイティブ関連産業に特化した、東京都直営のインキュベーション施設「東京コンテンツインキュベーションセンター(TCIC)」で過ごしている。現在は、同施設のOBメンターとして入居者の相談支援などにも従事している。
同施設で起業・経営支援を行うインキュベーションマネージャーの川野正雄氏も同席のうえ、起業家と起業支援家、それぞれの視点で「起業支援」について語っていただいた。
その結果、起業家は起業支援によって主に3つのメリットを享受できるのではないかという結論に至った。ここからは実際のインタビューをふりかえりながら、インキュベーションの価値について問い直す。
なお、ここでは起業家のメンタルヘルスに関する問題には触れない。
起業活動とメンタルは、実際には切っても切り離せない緊密な問題だ。また、起業支援が起業家にとって心の拠り所になる側面もあるだろう。
ただし、この考察では組織と事業の成長に対するインキュベーションの価値に絞って考えることにする。
起業初期の大きな課題はいくつかあるものの、「限られた経営リソースをどう配分するか」という課題に、どのスタートアップも頭を悩ませている。 バレットグループ株式会社 取締役CHROの後藤衞氏の場合は、「立ち上げ時から、とにかく人に投資したかった」と話す。
後藤氏「シンプルに賃料が安い、というのはTCICを選んだ理由のひとつに挙げられます。実際には必要な会議室なども、スタートアップの体力では借り続けるのに負担が大きい。TCICにはそういった機能もあるため、特に起業間もない頃は助かっていました」
インキュベーション施設の入居費は、一般的に廉価だ。オフィスにかかる固定費を抑えて、事業にリソースを割くというのは効率的だろう。バレットグループは、TCICの入居期間中にプライバシーマーク認定や人材派遣等の許可などを済ませたそうだ。
後藤氏「たとえば事業に必要な許認可を得る場合、オフィスのセキュリティレベルが問われるケースも多いです。事業に集中したい起業初期には、ファシリティにそこまでお金をかけられません」
「事業への集中」という言葉は、本インタビューで何度も交わされた。人・モノ・カネといった経営資源を最適に配分するためには「選択と集中」が欠かせないのだ。
経営資源には、“起業家自身の時間”もまた重要な要素として含まれる。
川野氏「インキュベーション施設は、ただ安いだけのシェアオフィスではありません。企業の成長支援を行うインキュベーションマネージャーのほか、専門家やOBOGなどのメンターも充実しています。支援人材が身近にいるメリットは大きいと入居企業から伺っています」
起業家の仕事は判断の連続だ。企業の進退に関わる重要な意思決定に日々追われている。起業家が事業自体に集中し適切な判断ができれば、無用な足踏みをしなくて済む。
後藤氏「TCICに入居しなくても起業はできたと思います。ただし、現在の位置にたどり着くまでは、もっと時間がかかっていたのだろうなと。インキュベーション施設に入居したことで、事業以外の苦労はかなり回避できました」
短期間での成長を求められるスタートアップにとって、速さは極めて重要だ。起業支援により企業の成長スピードを上げることができるのであれば、それは非常に有益だろう。
インキュベーション施設には、複数の起業家が出入りする。周りにいた起業家たちの存在は大きかったと後藤氏は話す。
後藤氏「当時、TCICには徹夜で働いていた入居者も多かったです。それは私たちも同じで、明け方まで働いて朝帰り……なんて日もザラでした。起業してすぐの時期は、あれこれやる必要がありましたから」
入居者とは交流会などで話し合う機会もあるものの、印象深かったのは日常的に顔を合わせるようなシーンだそう。
後藤氏「お互いにライバルでもありつつ、連携する関係性でもありました。しんどくても、諦めるわけにはいかない空気感に日頃包まれていたことを憶えています」
実は、後藤氏は都合2社をインキュベーション施設で過ごしている。バレットグループの前身となる企業もまたTCICで生まれ育ったのだった。
後藤氏「TCICには最長3年間しかいられません。限られた期間しか入居できないことが、他では経験できないスピード感につながっている。バレットグループを設立するにあたり、“もう1回TCICでやりたい”と思ったのです」
同じフェーズの起業家たちと触発し合う環境は、起業初期のモチベーション維持につながっていたとのこと。
とはいえ、起業はやる気や意欲だけでどうにかなるものではない。入居する起業家の支援に際して、“チューニング”の観点が大切だと川野氏は話す。
川野氏「まずはビジネスモデルのチューニングについて一緒に考えてあげること。これはTCICの入居者に多い、クリエイティブやコンテンツ系の起業家には特に必要だと考えています」
定期的に実施される面談を通じた支援の他、セミナーやアクセラレーションプログラムといった学びと実践の場を設けているとのこと。
川野氏「さらに重要なのは、経営者としての視座を上げることです。入居間もない時期は、技術者やクリエイターの気質が強い方が多い。起業家や経営者の視点を獲得できるような支援を意識しています」
中長期的に企業を育てていくためには、常に先々の展望を見据えることが肝要だ。起業家としての高い視座は、インキュベーション施設を経た後のさらなる成長に必要だろう。
後藤氏「今度、あの頃のメンバーと中野新橋で飲むんです」
バレットグループは現在、新宿エリアにオフィスを構えている。しかし、社員同士で食事に行く際、TCICのある中野新橋(東京都中野区)まで足を運ぶこともあるそうだ。
後藤氏「TCICに入居していた頃からいるメンバーとは、まさに会社を一緒に作ってきました。というか、一緒に作っていけることをみんな期待していたのだと思います」
バレットグループは新卒文化だという。コロナ禍前までは、新卒の離職率はゼロだったそう。ポイントは会社との関係値づくりだと後藤氏は話す。
後藤氏「以前、渋谷ヒカリエで新卒向けの採用説明会を開催しました。8階のMOV渋谷で、キラキラした雰囲気に包まれる空間でビジョンを語って。で、面接は中野新橋です。このギャップを感じてもらいつつ、一緒に泥臭くやっていけると思ったメンバーが今の会社を支えています」
バレットグループは2024年1月に創業11周年を迎えた。現在は独自のアライアンス形態を軸とした、他の起業家との協創関係を構築するほか、国内各地にエンジニアの開発とワーケーションの拠点を設立するなど幅広い取り組みに着手している。
後藤氏「抜けるメンバーもいれば、新たに入るメンバーもいます。重要なのは、会社のカルチャーにマッチしているかどうか。そのために人と向き合うことを大事にしています」
なお、インキュベーション施設はキャリア採用にも一役買うのだという。川野氏は、入居企業の採用についての相談を受けることも多い。
川野氏「行政のインキュベーション施設ということで、一定の信頼感を得ていただきやすいです。起業間もないスタートアップであっても、ここに入居していれば安心だということで、人は集めやすいとよく聞きます」
一般的なシェアオフィスでは来客の対応もままならないケースすらある。TCICの入居企業は、施設の会議室やフリースペースをうまく使って、採用面接時に安心感を伝えられるよう工夫しているそうだ。
川野氏「3年間の入居期間中、事業規模が大きくなり、より大きな部屋へと次から次へ移っていく企業もいます。同じ建物内で会社の拡大に対応できるため、その分だけ起業家には人や組織、事業に集中してもらいやすい環境かなと」
起業家その人だけで進める距離は、あまりに限られている。より遠くまで進むために、創業間もない時期から企業文化にフィットした仲間を集めることが重要なのだ。
インタビューを通して、起業家という強者に対して起業支援がもたらす価値について再考した。
まずは速さ。経営リソースの限られる時期には「選択と集中」が必要であること、その結果として短期間における急成長が望めることがわかった。この成長は決して一方通行なものではない。時にビジネスモデルをピボットしたり、経営戦略を練り直したりすることもあるだろう。試行錯誤の回数は多いほうがよい。スタートアップ成功の鉄則に「Fail Fast(早く失敗しておけ)」という言葉もある。いずれにしても、速さが重要だ。起業支援は、起業家の挑戦を加速する一助になるだろう。
続いて高さ。同じ環境にいる起業仲間は互いに触発し合い、またインキュベーションマネージャーをはじめとする支援人材は、起業家の視点をチューニングする。視座の高さは投資判断にも影響するという。理想を高く持ち、社会の課題をどう見据えているか。投資家は技術やビジネスモデルだけではなく、起業家自身の資質もまた同様に重視する。とはいえ起業家ひとりで視点を上げるのは難しい。客観的な立場からの起業支援が有効と言えそうだ。
最後に距離。働き方が多様になる中で、有象無象のスタートアップが自社に合った人材を採用するのは非常に骨が折れるだろう。キーワードはカルチャーフィットと安心感。インキュベーション施設をうまく使って、自社を一緒に育てていける仲間を集めていくことが重要だ。有名なことわざにあるとおり、遠くへ行きたければみんなで行く必要がある。速さ×高さを持った起業家は、起業支援によって集まった仲間たちとより遠くまで進むのだ。
さて、これらのインキュベーションから得られる価値について、“強者”である起業家にとっても有用であることは言うまでもない。いかにその起業家の能力が高く精神的に強い人間だろうが、起業支援はきっと彼らの役に立つことだろう。